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日本のIT屋に一言

早期退職募集メールが、予告もなくやってきた。 ある会社で体験したリストラの話(後編)

40歳からの「転職格差」 まだ間に合う人、もう手遅れな人 (PHPビジネス新書)

早期退職が、あらかた完了したオフィスは寂しいものであった。
新築ビルの20階、広い1フロアーですが、半分は照明が落とされ薄暗い。

大型案件はリーマンショックの後に消滅、金融業者の多くが廃業していった。

今回は、「早期退職募集メールが、予告もなくやってきた。 ある会社で体験したリストラの話」後編です。
早期退職をしたあとの会社の話、退職者のその後、自分はどうしたか?

最後まで読んでいただけたら幸いです。

下降線

起業して10年、一時期は、40社近い顧客も合併、廃業が続き、1/3程度なる。

FXの大型案件で作成したガラス張りの監視ルーム、24/365で待機していた外注さんも自社待機となり、人影もいない。

案件は減り続け、

「人をなるべく派遣しないという方針」

も崩れ、日銭稼ぎのため、何人かは、社外常駐となり社内に残る人はますます減った。

早期退職者の多くが、会社の最先端技術を担っていた「できる人々」であった。
これは、よく聞く話である。

「できる人から辞めてゆく」

残るは、転職が厳しくなったオッサンばかり

どう考えても再浮上はありえなそうだった。

それでも社員の給与は、きちんと支払われていた。

自分も会社の経理関連の情報にアクセスできなくなったのでよくわからなかったけど、社長は大変だったらしい。

起死回生を狙って?

会社の組織自体が崩壊しそうなほど人が辞めていったため、補強を考えて
「元オ○クル社」の人が部長として就任

いかにもエリート、会社は、オ○クル絡みの仕事を狙っていたらしいが、担当できる若手技術者がほとんどいなかった。
持ってくる案件も単発物で結局、彼が来た意味がない。

そんなことをしているうちに、顧客が減り続け、保守もままならない状況になりました。

引き際

自分が担当していたユーザーは、九州、神戸、大阪、名古屋、東京とあったのですが、2010年には、東京で1社だけとなってしまった。

かつての担当者が、会社の統合や閉鎖で挨拶し、何社かは、会社の閉鎖に立会った。

なんとも悲しい作業であったけど、みんな思い出話をして笑顔で対応してくれました。

金融業界は、お先真っ暗で転職先もっまならないだろうに・・・・

最後の1社もリニューアルということで消え去ろうとしていました。

もう引き際だな

そう考えていたときに 東日本大震災が発生、自分は、顧客先で作業をして遅い昼飯をファミレスで食べていました。

ファミレスの歪む窓、床に飛ぶ皿、道路ではクルマが停止、人が道路に集まっていた。

自分は、顧客先に戻り、サーバー群をチェック、1台のアプリケーション・サーバーが停止して起動しない。

幸い、片肺状態でも動作していたので営業は続けられていた。
※オンライントレードなので、地震の影響ないところからのアクセスは多い

無事に稼働しているのを確認して、市場が閉まり、閉めバッチが稼働するのを確認
片方の機器は、サーバーメーカーにお願いしてして会社に戻るためにあるきだす。

電車は止まり、交通渋滞 歩きながらふと思う。

これから どうなるんだろう

辞表提出

震災から数カ月後、社長に辞表を提出しました。

「この会社でやることはない」

と思ったからです。

家族から
「前々から 仕事が忙しすぎて身体を心配されていました」

辞表を見た社長は、

「辞められては困る」
「最初のメンバーがいなくなると影響力が大きい」
「他の創業メンバーに許可をとらないと」

と連日、社長室に呼ばれ説得されました。
毎日1時間以上 1対1で話をするのは、辛かったことを覚えています。

そこで聴いた話が、

「もうすぐ、ここを出て 新しいところに引っ越す」

ということでした。

会社の利益が、このオフィスの家賃の支払いに消えていたことは明らかだった。

しかし、契約は、3年毎? 途中解約は、違約金が発生するはず・・・

ここからは、予想と噂レベルですが、新築のオフィスビルで「倒産されてはまずい!」ということで違約金なしで同じ不動産会社の空きビルへの引っ越しを進められたらしい

その家賃の差額が、1/5とも1/10とも言われていた。
そりゃ、秋葉原近くの新築オフィスビルの1フロアーですから、どれだけ家賃が高かったかわかります。

毎日、社長室に呼ばれて1週間、ついに辞表を受け取ってくれました。

引っ越し

2012年9月、1年もいなかった、秋葉原のオフィスから立ち去ることになった。

引越し先は、四谷から歩いて15分の同じ不動産のビルだった。
小さなオフィスビルですが、とても綺麗です。

引っ越しが終わったあと引っ越しの慰労会が行われた。

そこで自分の退社について発表があった。

若干、涙目の人もいたかな・・・

退社日まで

退社は、9月末
あまりやることもないので、かつてお世話になったお客様に挨拶に出向く。

中には

「うちがこんなことにならなければ」

とありがたい言葉をかけてくれる人も多く、彼らの何人かとは、今でも呑みに行ったりする間柄だ。

早期退職した部下たちは、いろいろな分野で仕事を始めているようだ

同僚と結婚して故郷に帰ったものもいる。
個人で独立した人もいる。

もともと才能のある人たちなので

「どこに行ってもエース級で活躍できるであろう」

時折、辞めていった人たちと同窓会がある。

彼らは、みんな

「会社は、面白かったんだけどな・・・」

と言っている。

ほぼ立ち上げメンバーとしては、これほど嬉しい言葉はない。

一ヶ月後、13年努めてきた会社から去った。

送別会は、元グループのメンバーと元ユーザーが中心で四谷の小さな居酒屋で開催
なにより、辞めていった人からお祝いされるのが嬉しかった。

彼らの何人かは、フリーで活躍しています。

稼げるときに稼いでリタイヤする計画とか言っていました。
まぁ、それもアリだと思います。

その後

退社した年齢は 49歳 転職活動は、かなり大変でした。
年齢だけで「お断り」の企業がほとんどです。

そのあたりの話は、別のブログで書いているので読んでいただけたら嬉しいです。

高年齢のITエンジニアは、どうやって転職できたかを書いています。
参考になるかも知れません。

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富士通が、45歳以上を事実上 ...

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まとめ

自分が辞めた会社は、今も存続しています。

社長は、最後まで社員に対してきちんと対応していました。
とても感謝しています。

勝負をかけた経営は、リーマンショックなどが起こり運がなかったとも言えます。

今は、IT企業は、好調なところが多く、人手不足に陥っています。

数年後、現在、もてはやされている AIやIoTも坂から転げ落ちるかわかりません。

そして、昨年から今年にかけて 45歳以上のリストラが増えています。
はたして年齢だけで切ってしまって大丈夫なのか?

早期退職制度は、止む得ない状況かも知れませんが、人材流失によるその後のことを考えるとよかったのかどうか?
今は、判断できません。

しかし

一度、逃げてしまった人材は、二度と取り戻せないことを知ってほしいと思います。

あとがき

本文では、書ききれなかったことを追加します。

元部下たちが辞めていった理由は、人間関係の問題もあったと思います。

経営が厳しくなり、社長が抜擢した人物が、悪影響を与えたということもあったでしょう。

抜擢した人物は、評判が悪く、独善的な人間でお気に入りの人物だけ優遇するようなこともあったと思う。

また、彼は、顧客のいくつかから「出禁」をくらっていました。

人望もない彼を責任者にしたために会社の雰囲気が悪くなりました。

よかれとして打った手が、悪手だったということはよくあります。
運もなく、追いつめられて判断した結果、さらに悪くなる。

会社のトップは難しいものですね

早期退職募集メール それは明日あなたのスマホにやってくるかもしれません。

45歳からの転職に悩んだらご相談ください。

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