全くのド素人の学生が、コンピュータ屋という職業に就き
3年目になろうとしていた。
いい仕事もあれば悪い仕事もあったが、基本、客先常駐でプログラムを書く毎日
プログラムだけではなく、システム全体を設計することも増えてくる。
今回のシリーズ~プログラマーに歴史ありは、
シリーズ~プログラマーに歴史あり 第七話 さらばCOBOL
ということで 大きな決断というタイトルでエンジニアとして大きな方向転換をしたというお話です。
最後まで読んでいただけたら幸いです。
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目次
覚えることがなくなった
バロース社の大型コンピュータでCOBOLのシステムを組み始めて3年になろうとしている。
COBOLについても マニュアルも必要なく組めるようになっていました。
データベースの設計、オンライン、システム設計も手掛けるようになっていました。
IT小僧は、ある程度自由にやらせてくれる環境があったので同期のメンバーよりかなり深く知ることができるようになったのは幸運だった。
仕事も枚に同じことの繰り返しが続き
正直 飽きてきた。
日頃から本好きのIT小僧は、時間さえあれば本屋のコンピュータコーナーで海外の雑誌を漁る日が続いていた。
ある日、Apple という文字と 未来的なデザインのMacintoshという小さなコンピュータの特集している雑誌が目に留まる、雑誌名は、MacWorld そこには、ジョブズが写っていた。
このパソコンはなんだ?
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英語もたいしてわかりもしないくせに雑誌を購入して辞書を片手に隅々まで読み倒した記憶がある。
この雑誌との出会いが、この後のコンピュータ屋としての方向を決めた瞬間だった。
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COBOLからの卒業
当時、レナウンで出向していたIT小僧でしたが、このまま 何十年もこの仕事をしていていいのだろうか?
と考えるようになってきた。
日本では、ワープロ全盛期で趣味の人が持っているぐらいであった。
IT小僧もX1turboを購入し、ゲーム、そしてパソコン通信をはじめたばかり、この話は、別の機会にするとして
すでに大型コンピュータとCOBOLに興味がなくなっていた。
「もう ここでやれることはなくなったな」
仕事としては、このまま 続けられるけど、一端のコンピュータ屋になるには、未来がない。
そう感じると行動は、はやかった。
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説得
会社を辞めることを所属している部長に相談
当時、レナウンで出向していたIT小僧でしたが、レナウンの社員食堂で長々と話をする。
レナウンの社員食堂で部長と長々と話す。
会社に不満があるのか?
給与が不足?
不満があったら言ってくれ?
というところから話が始まった。
「今の環境を変えて別のコンピュータの仕事をしたい」
と話したら、
「では、希望の仕事を探すから 考え直してくれ」
と言う方向になったので
「小さなコンピュータとか通信の仕事をしたい」
という話をしたら
「大型コンピュータ業界以外だろ、未知数なところが多いので儲からないし、仕事もない」
という話などが延々と続いた。
最後には、
「給与については、上と相談するから・・・」
「少し、考え直せ」
ということでその場は終わった。
ここで当時のコンピュータ業界の話をします。
1986年のコンピュータ屋事情
1986年当時のコンピュータ業界のほとんどは、大型コンピュータのプログラマーがほとんどでパソコンの世界では、ビジネスアプリが少しずつ出てきた頃であった。
大型コンピュータのプログラマーの多くは、出向という形で企業に出向いて仕事をしていて、「ひと月幾ら」という契約がほとんどだった、
今と違って、SIという企業は少なく、メーカーから直接仕事が出ていたので中抜業者も少なかったと思います。
つまり、優秀なプログラマーを多く抱えて多くの企業に出向させることで会社は収入を得ていた。
当時は、今ほどコンピュータ関連の会社も多くなく、コンピュータエンジニアの数も圧倒的に少ない。
その一方で仕事は、かなり多いという 売り市場でした。
特に大型汎用機のプログラマーは慢性的に不足していて、高待遇のところも多かった。
当時は、専門学校もなどもあまりなく、就職してからコンピュータの勉強と仕事を始める人が多いわけで、会社としてみれば、せっかく育てた人材を手放すわけですから全力で阻止しようとします。
また、独立系のコンピュータ会社は、少なく IBM、NEC、日立、富士通、バロースなどの大型汎用機を取り扱っているメーカーが、グループ会社がほとんどです。
そのため、グループ会社に入るとそのメーカーのコンピュータしか触らないという状況が続いたのですが、後に銀行の吸収合併などでコンピュータメーカーが縮小されCOBOLプログラマーが大量に解雇されるなど問題になっていました。
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投資を回収
1986年当時は、コンピュータ業界の再編の前の時代でプログラマーは、かなり優遇されていました。
ただし転職となると、同メーカーの子会社間での転職に関しては、情報が伝わりやすいのでバレやすい。
自分がやりたい仕事は、脱COBOLだったので独立系のソフトウェアハウスを探しコンタクトを取っていました。
一方、会社には、辞めることを伝えているのですが、なかなか返答もなく、ただ時間だけが流れていた。
次回は、転職活動を中心に話します。
後半に続く
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