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IT小僧の部屋

キーボードを触ったことのないプログラマー誕生 シリーズ~プログラマーに歴史あり 第一話


コンピューター関連で36年間メシを食ってきました。

大型汎用機とCOBOLという時代から、マイクロチップの組み込みプログラム、金融系エンジニアからインターネットそしてスマートフォンと半端なく加速している業界で生き残ってきました。

そこで多くの事件、案件そして人々に出会ってきました。

今回から何回かに分けて、老エンジニアのつぶやきと題して、日頃から考えていることなどについて語ってみようと思います。

年寄りの戯言かも知れませんが、暇な方はお付き合いください。

今回のIT小僧の部屋
キーボードを触ったことのないプログラマー誕生 シリーズ~プログラマーに歴史あり 第一話
と題して、あるプログラマーの半生について連載を開始します。

最後まで読んでいただければ幸いです。

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文系の新入社員

1984年IT小僧は、バリバリの文系大学から、東京工業品取引所(TOCOM)のシステムを一社で引き受けている全商コンピュータという会社に入社しました。

偶然にもIT小僧のコンピュータ人生は、Appleが、Macintoshを発表した年と同じであった。

当時コンピューター業界の主流は、大型汎用機と呼ばれるもので主にCOBOLでプログラムを開発していました

当時、ワープロが少しずつ広まりつつあるころで パソコンは、まだ趣味の世界のもので実用になるまであと数年必要だった。

大型汎用機に出会う

大型汎用機コンピューターは、ビルの中で轟々とエアコンが効いている部屋の中でタンスのようなものが並んでいる状況でした。
正直言って今のパソコンよりはるかに性能の低いものです。

大型汎用機システムの立ち上げには、8インチのフロッピーディスクか、紙テープ、カードという今では、想像もできない代物です。

8インチのフロッピーディスク

パンチカード式カード

紙テープ

昔のアニメに出てくるシーンですが、紙テープで「どこどこに怪獣が出現」なんて解読できません。
??? いや、自分の先輩のレジェンドたちは、読めたかも???

さて

IT小僧は、入社してすぐにオンワード樫山というアパレル企業のコンピューター室に出向という形で出されました。

オンワード樫山といえば、先日こんなニュースがでていました。

2020/11/30 — オンワードホールディングスが、連結子会社のオンワード樫山が保有する倉庫兼物流センターの売却を11月30日の今日開催の取締役会で決議

IT小僧が仕事をしていたオンワード樫山のビルも倉庫兼物流センター兼コンピュータールームだった。まさか、同じ建物とは思えないが、場所は同じあたりです。

苦闘の日々

キーボードさえ打ったことのない人間が、いきなり 当時日本でも有数のコンピューターを持っていた企業で仕事をすることになったのです。

コンピューターどころかキーボードやパソコンすら 見たことのない人間が、システムの最前線に出されたわけで、一緒にいた3人の先輩方にとっては、「足手まとい」そのものだったでしょう。

自分にできることは、リストを取りに行くことぐらいでテープでデータをバックアップすることもできず、社員食堂の席取りと飲み物の買い出しぐらいしか仕事がありませんでした。

正直、いじめのようなことも多々ありました。

そこで負けるわけにもいかないので彼らを見返すために決断をしました。

「そのうち 追い越してやる」

その日から、ある行動に出ました。

  1. コンピューターの使い方を覚えるために他の作業をしている人の後ろで 「どんなコマンドで 何がどうなるのか?」を細かくメモしていきました。
    当時、大型コンピュータには、オペレーターという専任の操作員が常駐していましたのでまず彼らの技を盗むべく後をついて回りました。そこで、先輩方の知らないコマンドなどを覚え、同じ作業をより早く終わらせることに成功しました。数カ月後には、先輩方から、「あいつは、仕事が早い」というイメージを植え付けることに成功したのです。
  2. プログラムリストを持ち帰って徹底的に解読する。
    本当は、いけないことですが、先輩方のプログラムリストを持ち帰って休日に朝から晩まで解読していました。頭の中では、つねにプログラムを考える日々が続き、先頭のタイルを見てテーブルの概念を理解し、簡単なプログラムを任されるようになると「どうすれば、かっこいい プログラムコードが書けるのか」
    を研究する日々でした。

当時、帳票やプログラムを印刷していたストックフォームです。

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必死になって勉強したことが少しずつ身についてきました。
半年後には、簡単なシステムを任されるようになってきました。

頭の中に数万行のコードを並べる作業

当時のプログラムは、COBOLという言語で書かれていました。

今の人には信じられないでしょうけど、縦24行 横80桁というディスプレイでプログラムを作成し、コンパイルを行い、プログラムを実行してシステムを構築します。

この小さな画面で数万行、そして、オンラインプログラムは、数十万行というプログラムを書いていたのです。

今使っているVisual Studioやxcodeなんて 親切すぎて笑いが止まりません。
なにせ 困ったら「これですか?」なんて 候補を出してくれるわけですから・・・
しかもリアルタイムなんて、なんて 甘やかされているのだろうと感じることもあります。
※システムのレベルが違うので比較してはいけません。

そして、プログラムをいきなり画面で打ち込むなんてありません。
コーディングシートという マス目のある紙の上で まずプログラムを手で書いて、それを打ち込むという作業が繰り返すのです。

そう、数万行を手で書いてからプログラムを打ち込むわけです。
これを実現するためには、最初に頭の中にプログラムを組み立てないとできません。

自分で入力する時間がないときは、パンチャーという 入力専門の人に頼んで打ち込んでもらいます。

そして、プログラムを作成する時間が限られています。

大型汎用機は、通常 業務で使用されているのでプログラマーは、コンピュータをさわることができない場合が多いのです。

しかし、IT小僧は、出向先のオンワード樫山では、B6900、B7800という大型コンピュータを3台所有していました。

そのうち1台は、スタンバイ兼開発機としてプログラマーに開放されていたので、私達は、ほぼ 自由に触ることができたのです。

これは、同期に入社した人と大きなアドバンテージがありました。
新入社員でIT小僧だけが、現場で仕事をしていて、同期は、社内で研修をしていたのです。

いきなり実践環境にいたIT小僧は、「かなり厳しい目でみられていました」が、ある程度自由に大型コンピューターを触ることができたのです。

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シリース第一話 まとめ

シリーズ~プログラマーに歴史あり 第一話 として IT小僧自身のプログラマー半生をシリーズ化します。

以前、同じようなシリーズを書いていて途中で断念したので今回は、最後まで書いてみようと決意のもと連載を開始します。

次回予告

次回は、オンワード樫山で触っていた、バロース (Burroughs Corporation) のコンピュータの話をしようと思っています。

当時、IBMやHITAC(ハイタック:日立)、富士通などが、メジャーでしたが、はっきり言って バロース (Burroughs Corporation) は、10年先のコンピュータだったという話です。

コマンドインタフェースは構造化言語 WFL(Work Flow Language)
IBMのJCLなんて前世紀の異物だわ

とか

オペレーティングシステムが、高級言語で書かれていて柔軟性に富んでいた
(ALGOL指向のスタックマシン)

とか

統合開発環境 通称「キャンデ」と呼ばれた開発環境

などの話を中心に記憶の底から引っ張り出そうと思っています。

一週間後あたりに掲載予定 ぜひお楽しみに

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