中国出張を前に「スマホを見られるらしい」「拘束されるかもしれない」と聞いて、どこまで本当なのか分からないまま出発する。そういう人は多いと思います。
結論を先に書きます。入国する全員の端末が調べられているわけではありません。ただし、入国した瞬間から名前と顔と移動が実名で記録され続ける、という点は確定した事実です。この記事では西側の報道と公開文書で確認できる範囲に絞り、どこまでが確認済みでどこからが推測かを分けて整理します。
入国した瞬間から記録は始まっている
中国では、14歳から70歳までの外国人は入国審査で両手の指紋と顔画像を採取されます。日本の外務省も安全対策基礎データに明記しており、例外は空港の制限区域内でのトランジットなどに限られます。
2025年11月20日からはデジタル入国カード(CDAC)が始まりました。国家移民管理局のサイト、12367アプリ、あるいはWeChatなど中国の大手アプリのミニプログラムから、到着の72時間前までに申告できます。紙の記入が減った一方で、渡航情報は入国前にデータとして登録される形になりました。
到着後も同じです。ホテルに泊まれば宿泊登記としてパスポート情報が公安に送られ、都市によってはフロントで顔写真も撮られます。友人宅や社宅なら24時間以内に自分で管轄の公安機関に登記する義務があり、怠れば2000元以下の罰金です。高速鉄道の切符も、携帯電話の契約も、モバイル決済の登録も実名が前提です。
街頭カメラが外国人全員を常時リアルタイムで追いかけている、という描き方は正確ではありません。実態に近いのは、実名で登録された「点」のデータが大量に残り、必要になったときに後から線としてつなげられる構造です。
端末はどこまで調べられるのか
2024年7月1日、国家安全機関の行政法執行手続規定と刑事事件手続規定が施行され、国家安全機関は令状なしで個人の電子機器を検査できるようになりました。改正反スパイ法25条が根拠です。
条文が収集対象に挙げるのは、ショートメッセージ、電子メール、インスタントメッセージ、グループチャット、文書、画像、音声と動画、アプリ、ログ記録です。是正の求めに応じない場合は機器の封印や押収もできます。
| 項目 | 内容 |
| 法的根拠 | 改正反スパイ法25条と2024年7月1日施行の2つの手続規定。検査には市レベル以上の責任者の承認が必要とされる |
| 対象データ | メッセージ、電子メール、グループチャット、文書、画像、音声と動画、アプリ、ログ記録 |
| 応じない場合 | 機器の封印や押収、記録媒体そのものの差押えが可能 |
| 実際の運用 | 入国者全員ではない。記者、研究者、調査業務、先端技術の関係者が重く見られる |
中国国家安全部は2024年5月、国境で全員の携帯が検査されるという話は事実の歪曲だと反論しました。対象と手続は限定され、無関係な旅行者は対象にならない、という説明です。実際、現地の日本人や出張者から「空港で端末を抜かれた」という報告が広く出ているわけでもありません。
一方、拘束のほうには数字があります。外務省の情報では、2014年の反スパイ法施行以降に国家安全に関わる罪で拘束された日本人は2025年7月時点で17人。うち9人が実刑判決を受け、製薬会社の社員は懲役3年6月の判決を受けました。2026年6月にも新たな拘束が報じられています。多くはビジネス関係者と研究者で、観光中にいきなり拘束された事例は確認されていません。
「外国人動態管理プラットフォーム」の正体
2026年にこの話題が広がるきっかけになったのが、中国語で「境外人員動態管控平台」と呼ばれるシステムです。国外から来た人の動きを管理するプラットフォーム、という意味です。
発見したのは匿名のセキュリティ研究グループです。2026年1月から観測を続け、5月に英紙テレグラフ、8月に米紙ニューヨーク・タイムズが報じました。河北省張家口市の公安局向けに開発されたもので、約1万2000人分の個人データが外部から見える状態でした。
記録項目は、国籍、生年月日、性別、婚姻状況、住所、職業、そして宗教まで。機能面では、記者のファイルを検索する画面、誰と誰が一緒に現れたかを割り出す関係図、高速鉄道の座席番号、ガソリンの購入記録、交差点や市場やモスクのカメラに写った記録が並びます。
国籍によるタグ付けも確認されました。オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、英国、米国の出身者は「ファイブ・アイズ」として括られ、エジプトやイラン、イスラエル、パキスタンなどは「重点国家」。香港と台湾からの訪問者は別枠です。取材した英紙の記者は、自分の記録に「追跡可能」のタグが付いていたと書いています。
米紙は公開入札文書から、このシステムが北京の技術企業と結びついていると突き止めました。同社は2023年に「外籍人員信息界面」という名称でほぼ同じ設計の特許を出願しており、株式の一部を江蘇省塩城市の政府が保有しています。サイト自体は2026年5月に停止しました。
見つかったのはデモ環境で、実データにつながっていなかった可能性が高い。研究者自身がそう述べており、本番稼働は確認できていません。ただし2026年4月まで関係図の機能が追加され続け、公安局向けの調達として設計されていたことから、構想として作り込まれていたとは言えます。研究者は「外国人向けと銘打ってはいるが、設計思想は中国国民にもそのまま適用できる汎用のひな型だ」とも指摘しています。
中国のアプリはどこまで危ないのか
カナダのトロント大学にあるシチズン・ラボは、WeChatについて踏み込んだ検証をしています。中国国外で登録されたアカウント同士がやり取りした画像や文書も、サーバー側で内容を分析され、政治的に微妙と判定されたものはハッシュ化されて中国国内アカウント向けの検閲に使われる、という調査結果です。
国外ユーザー側には検閲が掛からないため、監視されていること自体が実質的に検知できません。プライバシーポリシーにも記載はありません。運営元は国際ユーザー間のやり取りはプライベートだと反論し、研究チームも、集めたデータが中国政府に渡っている証拠はないと明記しています。
国家情報法7条は、いかなる組織も個人も国の情報活動に協力する義務を負うと定めています。データが実際に渡っているかどうかではなく、求められたときに断れる法的根拠が薄い、という前提で持ち物を決めるのが現実的です。
注意点を2つ。1つは、デジタル入国カードの申告経路に中国の大手アプリのミニプログラムが入っていること。入国前の時点から渡航情報が中国のプラットフォーム上を通ります。もう1つは、決済アプリがパスポート情報と紐づいた実名アカウントであり、位置情報と取引履歴がそのまま蓄積されることです。
中国を出ても終わりではない
米国務省は2026年9月4日に中国向け渡航情報を更新し、レベル2を維持したうえで直接的な表現を使いました。中国に向けて、あるいは中国から送るメールやテキスト、SNSの投稿は治安機関に読まれうると想定せよ、というものです。中国の外にいるときに送ったメッセージを理由に拘束された事例がある、とも書かれています。
出国できなくなる「出国禁止」も、西側各国が共通して警告する項目です。刑事事件とは限らず、民事の係争、取引先との金銭トラブル、親族が捜査対象という理由でも掛かります。本人が知るのは空港で出国しようとした瞬間であることが多く、争う法的手続が用意されていない場合もあります。
ここは誤解が広がりやすいので補足します。2026年9月15日施行の国務院令841号で新設された出国制限の条文は、中国公民が対象です。この日を境に日本人出張者の出国が止まるようになった、という事実はありません。外国人に効くのは入境側で、ビザ申請や入国時の虚偽申告には1年から5年の入境禁止、反制リストに載せられた企業の関係者には入境制限や就労許可の取消が規定されています。
国外の活動に手が伸びた事例もあります。人権団体セーフガード・ディフェンダーズは、53カ国に102カ所の「海外警察サービスステーション」が設置されたと報告し、米国では運営に関わったとして逮捕と起訴に至りました。中国側は在外中国人向けのサービス窓口だと説明しています。
出張前にやっておくこと
全部やる必要はありません。記者、研究者、先端技術の担当、中国側と係争を抱える案件の関係者。自分がそこに近いほど上から順に効いてきます。
| 場面 | やること |
| 端末 | 出張専用の空の端末を用意する。難しければ写真、チャット履歴、クラウドの自動同期、パスワード保管アプリを棚卸ししてから持ち込む |
| ログイン情報 | 本社システムへの常時接続を避ける。多要素認証の予備手段は端末と別に持つ。帰国後にパスワードを変更する |
| 通信 | 会社が用意した回線を業務目的で使う。公開の無線LANは避ける。壁越えの個人向けツールは現地の規制に触れうる |
| 発信と撮影 | 中国、香港、台湾に関わる政治的な投稿は渡航の前後も含めて考える。デモ、警察、軍事施設の撮影はしない |
| 書類 | 16歳以上はパスポート携帯が義務。友人宅や社宅に泊まるなら24時間以内に自分で宿泊登記 |
| 会社として | 中国側と係争中の案件の関係者の渡航は申請段階で一度止めて確認する。たびレジに登録し、緊急連絡の経路を決めておく |
端末は現地調達という手もあります。日本でも反スパイ法対策をうたった出張者向けのスマートフォンレンタルが登場し、ノートパソコンの持ち出しを制限する企業も増えています。
怖がり方を間違えない
整理します。入国審査での生体情報の採取、宿泊登記、実名での移動記録は、全員に等しく掛かる仕組みとして確定しています。端末を検査する法的権限も確定しています。一方で、全員の端末が実際に調べられているわけではなく、動態管理プラットフォームの本番稼働も確認されていません。
だから答えは「危険だから行くな」でも「気にしすぎだ」でもなく、自分がどのプロファイルに当たるかで対策の厚みを変える、という実務的なところに落ち着きます。観光で行く人と、現地企業と交渉する技術者と、取材に行く記者では、必要な準備がまったく違います。
そして、いちばん効く対策はたぶん地味です。持っていかない。残さない。帰ってきたら消す。この3つで、調べられて困るものの大半は手元から消えます。