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IT小僧の時事放談

脱マイクロソフトはどこまで進んだか|欧州・アジア国別の現在地2026

オランダの税務当局が、進めていたクラウド版オフィス群の全面導入を取りやめた。すでに5000人が移行を終えていた案件を、途中で引き返したのである。欧州ではもはや珍しい判断ではない。本稿では「脱マイクロソフト」の現在地を、国・地域別に整理する。

オランダ税務当局は、なぜ引き返したのか

オランダ税務関税庁は、税関と給付金支給機関とあわせて職員約4万7500人を抱える。2025年に全職員のクラウド移行を決め、2026年末の完了を目標にしていた。

ところが2026年1月時点で約5000人まで展開が進んだ段階で、政府直属の監査機関である情報通信技術評価諮問委員会がこの設計を「情報セキュリティ、情報処理、将来への備えの面で不十分」と結論づけた。当局は7月に計画を停止し、10月に方針転換を公表している。

注目すべきは、指摘されたのが特殊な設定の不備ではなかった点だ。標準の暗号化、通話ツール、単一ベンダーとの契約という、どの組織でもそのまま使う前提条件そのものが問題視された。従来は政府管理の回線を通っていた機密文書が、米国企業の運用するサーバーを経由することになる。そこが問題視された。

財務担当国務長官が議会に示した工程表は明快だ。2027年にメールとカレンダーを自前の設備(オンプレミス)に戻し、2027年後半から2028年にかけて個人領域と共同作業の基盤を欧州製のオープンソース(Open Source、公開型ソフトウェア)に置き換える。

ただし即時の決別ではない。当面の自前メール環境には既存の製品がそのまま使われる。報道見出しは断絶を強調しがちだが、実態は「クラウドへの集約をやめ、段階的に主導権を取り戻す」という工程管理の話である。

各国が動く三つの理由

第一に、法域リスク。米国のクラウド法制は、データが欧州の施設にあっても米当局が開示を求めうる構造を残している。欧州データ保護監督機関は2024年3月、欧州委員会のクラウド型オフィス利用がEUの保護規則に違反すると判断した(その後、追加措置により2025年7月に手続は終結)。法的な決着はついても、構造上の懸念は残る。

第二に、コストとロックイン。コペンハーゲン市のライセンス費用は5年で72パーセント上昇した。ドイツ連邦政府の2025年の関連支出は4億8140万ユーロと報じられている。欧州委員会は2026年6月の技術主権パッケージで、域外製品・サービスへの年間2640億ユーロの支出を戦略的リスクと位置づけた。

第三に、地政学。2025年5月、国際刑事裁判所の主任検察官が自身のメールアカウントを使えなくなったと通信社が報じた。供給元は裁判所全体の停止は否定したが、この一件が欧州の公的機関に与えた心理的衝撃は大きい。「契約があれば使い続けられる」という前提が、政治判断ひとつで揺らぎうると示されたからだ。

欧州各国の状況

国・機関 規模 移行先 現状
独・シュレスヴィヒ州 行政3万台 LibreOffice ほか 約8割完了。年1500万ユーロ削減
仏・デジタル統括局 公務員250万人 Linux と国産業務群 2026年秋までに全省庁が計画提出
仏・国家憲兵隊 約10万3千台 GendBuntu 2008年から安定運用。総保有費4割減
蘭・税務当局 職員4万7500人 自前設備と欧州製公開型 2026年10月に導入中止を決定
デンマーク・デジタル省 省庁と二大都市 LibreOffice 中心 2025年夏から段階移行。自治体連合も参画
スイス連邦行政 3千台(全5万4千台) openDesk 2027年末まで併走型の試験導入
スイス軍サイバー司令部 該当部隊全員 openDesk 2026年10月完了目標。民生側より先行
オーストリア連邦軍 1万6千台超 LibreOffice 移行完了。年約561万ユーロ削減
国際刑事裁判所 約1800台 openDesk 検察官の遮断事案を受け移行

欧州の受け皿として存在感を増しているのが、ドイツ連邦内務省の委託でデジタル主権センターが開発した openDesk(オープンデスク)である。ひとつの巨大アプリを模倣するのではなく、共有保管、グループウェア、文書編集、会議、対話の各部品を共通の認証基盤の下に束ねた構成を取る。フランスの国産業務群と並ぶ、欧州製の二枚看板だ。

欧州議会は2026年1月22日、米国技術への依存から脱却すべきとの決議を471対68という圧倒的多数で採択した。ただし決議には拘束力がない。賛成票を投じた国が翌週にはライセンス契約を更新する、という光景も現実には続いている。

アジア・北米の状況

国 主な動き 評価
中国 政府専用版の基本ソフトを前倒し撤去。国産の麒麟系と統信系へ 最も徹底。産業育成政策と一体
韓国 2019年に公共330万台の転換構想。国防省などで国産系を採用 断続的。全面展開には至らず
インド 国防省が国産系を導入。公共向け独自系統も保有 安全保障分野に限定的
カナダ 国産基本ソフト整備の是非が2026年に論点化 議論段階。実装は未着手
米国 連邦調達は従来路線を維持 自国企業ゆえ主権問題が生じない
日本 政府共通基盤に国産事業者1社が加入。端末側は現状維持 議題にすら上がっていない

中国の動きは性格が異なる。2026年8月、国家安全当局が政府関連組織に対し、政府専用に調整された基本ソフトの撤去を指示したと伝えられた。もともと2027年2月までの利用が想定されていたものを、前倒ししたかたちだ。移行先は麒麟(キリン)系と統信(UOS)系で、いずれも国家の調達認証を受けた国産系統である。欧州が「主権」を語るのに対し、中国は「安全保障と産業政策」として進めている点が違う。

日本の現状は、どうなっているか

結論から言えば、日本に「脱」の動きは事実上ない。中央省庁も自治体も、業務端末は特定ベンダーの基本ソフトと文書作成ソフトの組み合わせで回っている。

動きがあるのは基盤側だ。デジタル庁は2026年3月27日、さくらインターネットの提供する国産クラウドをガバメントクラウドとして正式認定した。2023年11月の条件付き採択から約3年、300項目に及ぶ技術要件を期限内に満たしたものである。国内事業者としては初で、全体では5番目の採択となった。

2026年8月からは、政府の人工知能基盤「源内」で試用する国産の大規模言語モデル3件が、この国産クラウド上で稼働している。基盤と模型の双方を国内で揃える構図ができつつある。

ここで冷静に見ておきたい点がある。認定された国産クラウド自身が、技術要件の充足にあたって海外ベンダーの製品を含む第三者技術を用いていると公表している。「国産」と呼べるのは、データセンターの所在地と運営主体の国籍までだ。欧州が問題にしている法域リスクという観点では、この層構造まで含めて評価しなければ意味がない。

情報処理推進機構が2026年5月に公表した調査では、日本の行政機関による公開型ソフトウェアの取り組みは626件・22組織に達し、ドイツやシンガポール、エストニアと同等の発展段階にあるとされた。「周回遅れ」という紋切り型の評価は正確ではない。足りないのは技術力ではなく、調達の設計思想である。

技術者として見ておくべき論点

欧州の事例で成功しているのは、「置き換え」ではなく「分離」を設計した組織だ。フランスの国家憲兵隊は18年かけて10万台規模を動かし、総保有費を4割下げた。シュレスヴィヒ州は設定情報や移行用の手順書を公開ライセンスで出し、他の自治体が追随できるようにしている。

一方で、失敗の芽も見えている。チューリッヒ市は欧州製の業務群を検証した結果、机上アプリの不足や電話連携の弱さ、移行費用の不透明さを理由に、短期の全面移行は現実的でないと結論づけた。スイス連邦が3千台の併走型から始めたのも、この教訓を踏まえた判断だろう。

含意は単純だ。いま即座に乗り換えろという話ではない。ただし、業務の中核が単一供給元の更新方針と価格改定に握られている状態は、障害分離の観点からは健全とは言えない。文書形式を標準仕様で保存できるか、認証基盤を外部に完全依存していないか、契約が切れた翌日に何が止まるのか。この三点を棚卸ししておくだけでも、選択肢の幅はまったく変わってくる。

主権とは、乗り換える自由ではない。乗り換えなくても困らないように設計しておく、という意味である。オランダが引き返せたのは、引き返す道を残していたからだ。

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