ロシア軍が前線で使っていたスターリンクが遮断され、ウクライナ戦争の通信環境が一変しています。
そんな中、ロシアは代替手段として「気球型5G中継局」Barrage-1の試験を始めたと報じられました。成層圏に巨大な気球を浮かべて、そこから5G通信をばらまくというこの構想は、本当にスターリンクの代わりになるのでしょうか?
この記事では、気球型5G中継局の仕組みやメリット・弱点、Googleや中国・日本の先行事例、そしてウクライナ側の対応まで、ニュースの背景をまとめて解説していきます。
目次
気球型5G中継局とは何か?
気球型5G中継局は、ひと言で言えば「5G基地局を積んだ巨大な風船」です。地上の鉄塔の代わりに、ヘリウムなどを入れた係留気球や飛行船(エアロスタット)を数百〜数万メートルまで上げ、その機体の下部に基地局装置とアンテナを搭載します。電力や光ファイバーなどの有線回線はケーブルで地上と接続し、上空から広いエリアを見下ろす“空飛ぶ基地局”として使う仕組みです。
ロシアが試験中とされる「Barrage-1(バラージュ1)」は、ロシアの先進研究財団(FFAS)が開発中の高高度エアロスタットで、最大約100kgのペイロードを高度20km前後の成層圏まで持ち上げる構想だと伝えられています。ここに「5G NTN(Non-Terrestrial Network)向けの通信装置」を搭載し、成層圏から広いエリアに電波を届けようという狙いがあります。
成層圏から5Gの電波を照射すれば、地上の山や建物に邪魔されにくく、数十〜数百kmという広い範囲を一気にカバーできます。そのため、地上に高い鉄塔を大量に建てなくても、前線の部隊に高速通信を提供できる可能性があります。

なぜロシアは気球に目を向けたのか
ウクライナ戦争では、ウクライナ側もロシア側も、前線のドローン運用や部隊間の連絡にスターリンクを多用してきました。しかし、スペースXが利用制限を強めたことで、ロシア側の不正利用が遮断され、ロシア軍の前線通信が大きく混乱したと報じられています。その結果、一部の攻勢作戦が減速し、無人地上車両やドローンの運用にも支障が出たと分析されています。
ロシアは独自の低軌道衛星コンステレーション「Rassvet(夜明け)」を構想していますが、衛星製造の遅れから本格運用にはまだ時間がかかると見られています。衛星網が整うまで数年単位で待っていられないロシア軍にとって、より短期間で現場投入できる代替案として浮上したのが、成層圏の気球に5G中継局を載せるBarrage-1構想、という位置づけです。
気球型5G中継局は本当に実用になるのか?
スターリンクの穴を埋める「局地的な応急処置」
気球型5G中継局には、一定のメリットがあります。まず、高度20km前後から見下ろせば、地球の丸みを考慮してもかなり広い範囲を一望でき、障害物の影響を受けにくい広域通信が可能です。前線近くまで光ファイバーと電源さえ引いておけば、そこから先は鉄塔を建てなくても、上空の気球から基地局として電波を送ることができます。
また、数千機の衛星と世界規模の地上局ネットワークを整備するスターリンク型の仕組みと比べると、数十基のエアロスタットを製造・配備する方が初期投資もリードタイムも小さくて済みます。短期間で「局地的なスターリンクもどき」を作る、という意味では、現実的な選択肢の一つと言えます。
スターリンクの完全な代替にはなりにくい理由
一方で、弱点もはっきりしています。まず、スターリンクのように何千機もの衛星で地球全体を覆うわけではないため、カバー範囲と冗長性はどうしても劣ります。Barrage-1を複数機ネットワーク化したとしても、あくまで地域限定の“小さなコンステレーション”に留まり、世界中どこでも即座に使えるスターリンクとはスケールが違います。
次に、撃墜されやすさの問題があります。高度20km前後は地対空ミサイルが届く高さであり、ウクライナ側の防空システムや長距離ドローンの良い標的になり得ます。高高度から強い電波を出せば、逆に言えば敵側から位置を特定されやすく、電子戦のジャミングやサイバー攻撃のターゲットとしても目立ちやすくなります。
さらに、長期間の成層圏運用には、風向や気圧、温度変化への対応やガス補充など、細かな運用コストがかかります。Barrage-1では高度を変えて風をつかむことで一定の位置を保つ工夫がされているとされますが、まだ初期試験段階で、どの程度安定して運用できるのかは不透明です。
総合すると、気球型5G中継局は「ロシア軍の前線通信を部分的に補う応急処置としてはあり得るが、スターリンクの完全な代替にはなりにくい」という評価が現実的でしょう。
先行事例から見る「気球×通信」技術の歴史
Google(Alphabet)の Project Loon
気球を使って通信を提供するアイデアは、新しいものではありません。その代表例が、Google(のちのAlphabet)の「Project Loon」です。Project Loonでは、成層圏(高度18〜25km)を飛ぶ高高度気球にLTE基地局を搭載し、地上局と連携してインターネット接続を提供する構想が進められました。
2017年には、ハリケーン・マリア直後のプエルトリコで、Loonの気球を使って緊急LTE通信を提供する計画が承認されるなど、災害対応で実際に活用された実績もあります。ただし、商用化という観点では採算が合わず、パートナーも十分に集まらなかったことから、2021年には事業終了となりました。技術的には成立しても、ビジネスとして継続できなかったケースです。
-
-
空からの使者 気球でインターネット接続 Project Loon(プロジェクト ルーン)
1999年7の月 空から恐怖の大王が降ってくる。 ある程度の年齢以上のみなさんは、ノストラダムスの大予言 という本を読まれたり、テレビで特集したのをご覧になったと思います。 結局、恐怖の大王などは、や ...
続きを見る
中国の「5G Cloud One」気球
中国でも、中国移動(China Mobile)が「5G Cloud One」と呼ばれる無人ヘリウム飛行船を開発し、災害時などの通信インフラとして試験しています。高度約300mを飛行し、約200kgの5G基地局を搭載して、最大100平方km程度をカバーできるとされています。
こちらも、主な用途は地震や洪水などの災害発生時に、破壊された地上インフラの代わりとして一時的に通信を提供することです。常時サービスを提供するというよりは、「非常用の選択肢」という位置付けに留まっています。
日本・ソフトバンクの係留気球基地局
日本でも、特にソフトバンクが積極的に気球型基地局を試しています。2010年代からバルーン基地局を災害時向けに構想し、2016年の熊本地震の際には、実際にバルーンで中継装置を上空に上げてエリア復旧に利用したと報じられました。
2022年には、米Altaeros社の高高度係留エアロスタット「ST-Flex」にソフトバンクの基地局と円筒形アンテナを搭載し、高度約249mまで引き上げて通信試験を実施しています。この実証では、数十kmにわたり安定した通信範囲を確保できたと報告され、将来的には成層圏プラットフォーム(HAPS)との組み合わせも視野に入れた研究が進められています。

軍事用途の気球システム
軍事分野でも、気球(エアロスタット)を使ったシステムは以前から存在します。例えば、米軍の「JLENS」は、高度約10,000ftに大型の係留気球を浮かべ、長距離の巡航ミサイルや航空機を探知するためのレーダーを搭載したシステムでした。こちらは通信というよりセンサー用途ですが、「空に巨大な風船を浮かべて広範囲をカバーする」という発想は、民間・軍事を問わず繰り返し検討されてきたことがわかります。
ウクライナの対応と見方
ウクライナ側は、Barrage-1を単なる技術ニュースとしてではなく、「ロシアがスターリンク遮断を何とか乗り越えようとしているサイン」として慎重に見ています。ウクライナ国防省の技術顧問を務める電子戦の専門家は、このプラットフォームを「低軌道衛星コンステレーションに比べて安価でアクセスしやすい代替案」と評価しつつも、ウクライナとしては探知と迎撃の手段を整えることが最重要だと強調しています。
高度20〜30kmなら、S-300などの対空ミサイルが射程に収めることができますし、専用のドローンを“気球ハンター”として運用するシナリオも考えられます。強い電波を出す気球は電子戦のターゲットになりやすく、ジャミングやサイバー攻撃で無力化することも視野に入っています。
スターリンク遮断の直後には、ウクライナ軍が複数の前線でここ数年でもっとも速いペースで戦果を挙げたという分析もあり、ウクライナ側としては「通信面で優位に立てている期間を最大限活用する」ことに集中している段階です。そのうえで、Barrage-1のような新しい通信手段が実戦投入されれば、対策技術を素早くアップデートしていくと見られます。
日本では気球型中継局は行っているのか?
日本でも気球型基地局の研究や実証は行われていますが、その多くは災害対策を目的としたもので、常設のインフラとして運用されているわけではありません。ソフトバンクのバルーン基地局や、Altaerosと組んだ高高度エアロスタットの実証は、地震などで地上の基地局が使えなくなった場合に、一時的に空からエリアを張り直すことを想定したものです。
一方で、最近の日本のキャリアは、スターリンクなどの衛星インターネットを災害用のバックアップインフラとして活用する動きも強めています。KDDIがStarlinkと組んで、ドローン制御や災害時通信の実証を進めている例がわかりやすいでしょう。国内では、「気球」「船上基地局」「衛星ダイレクト通信」「HAPS」といった複数の手段を組み合わせて、総合的にレジリエンスを高める方向で動いているのが実情です。
その意味で、日本はロシアのように「スターリンクの軍事利用が止められたから、代わりに気球で何とかする」という文脈ではなく、平時から多重の通信インフラを用意しておくという発想で気球技術を位置づけていると言えます。
ロシアの気球5Gは「苦肉の策」か「次の戦場インフラ」か
気球型5G中継局は、新しいアイデアのように見えて、実はGoogleのProject Loon、中国移動の「5G Cloud One」、日本のソフトバンクの実証実験など、さまざまな先行事例が存在します。ただ、その多くは災害時や僻地での一時的な通信確保というニッチな用途にとどまり、常設インフラや大規模ビジネスとして定着するには至っていません。
ロシアのBarrage-1は、スターリンク遮断によって通信面で不利になった状況を埋めるための「苦肉の策」であり、うまく機能すれば前線の一部エリアではスターリンクの穴を埋めるかもしれません。しかし、撃墜や電子戦のリスクが高く、世界規模の冗長性を持つスターリンクの完全な代替になるとは考えにくいのも事実です。
ウクライナ側も、Barrage-1を潜在的な脅威として真剣に分析しながら、「検知して撃ち落とす」「電子戦で無力化する」ための対策をすでに視野に入れています。今後もしロシアが複数のBarrage-1をネットワーク化し、本格的に前線で活用し始めれば、ウクライナ側との間で「空飛ぶ基地局」と「それを落とす技術」という新しい攻防が、戦場の一つの焦点になるかもしれません。
気球型5G中継局は、スターリンク級の革命を再現するものというより、現代の戦場で「どこか一部分だけでもつながる空を確保する」ための応急処置的なテクノロジーと見るほうが現実的でしょう。その一方で、こうした空中プラットフォームの技術が進化すれば、将来の災害対策や僻地通信にも応用される可能性があり、軍事だけでなく民間にとっても無視できない分野になりつつあります。