IT小僧が「駆け出しのプログラマー」だった頃の話
「不思議な出来事」
「変人奇人」
「コンピュータに関わる事件」
について(少し創作があるかも知れません)ブログにまとめました。
題して「プログラマー物語」毎週土曜日ぐらいに掲載します。
週末、のんびりした時間に読んでいただければ幸いです。
では、記念すべき 第1話
初めて触ったコンピュータは、バロース(Burroughs) B6900
はじまりはじまり。
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目次
1984年
『1984年』
(1984年、Nineteen Eighty-Four)は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説。
1949年刊行
1950年代に発生した核戦争、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国によって分割統治されている。
そして、その国境近くの紛争地域をめぐって絶えず戦争が繰り返されている。
そのなかの一つ オセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏していた。
市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョンや街中に仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。
支配している
アップル社( Apple Inc.)は、まだアップル・コンピュータ(Apple Computer, Inc)と名乗っていた。
そしてこの年、世界が変わる製品が発表された。
その製品の名前は、
Macintosh
スーパーボールのハーフタイムに流されたCMは、アップル信者(旧7色の信者たち)にとって何かの啓示とも言える映像だった。
世界のコンピュータ業界に革命が起きようとしていた1984年
IT小僧は、「仏教文化」を研究していたにもかかわらず「全商コンピュータサービス」というコンピュータ企業に就職(当時まだITという言葉はなかった)
ここから、激動のコンピュータ屋人生がはじまります。
3月からアルバイトに呼び出された
1984年、日本人でどれだけの人がキーボードを触ったことがあるでしょうか?
IT小僧は、TVのスタートレックで「会話するコンピュータ」ぐらいしか知識がなくもちろんコンピュータなど触ったこともなかった。
大学生の卒業間近に「全商コンピュータサービス」から電話が来た。
「もしよかったら アルバイトとしてやってみない」
カネもなかったし、暇だったのですぐに了承
指定された日に会社に出向き、夕方、先輩のIさんと一緒に田町にある
「オンワード樫山ビル」に連れて行かれた。
ここまで仕事内容は一切告げられていない
「何をするかまったくわからない」。
3月の初旬、海っぷちにあるビルは、風が強く寒かったことを覚えている。
タンスのようなコンピュータ
「オンワード樫山」の倉庫と思わえるビルでの中に入り、7階にある部屋に連れて行かれた。
部屋からは、隣のビルや海も見えた。
すでに同じ会社の先輩のMさんに挨拶
「これから 明日の朝まで 棚卸し作業をするので 手伝ってほしい」
? む? 棚卸し?
荷物整理? コンピュータの会社だよね!
といって連れて行かれたのが、同じビルの5階
テレビほどのディスプレイ、緑色の文字が眩しく光っている。
そして分厚いキーボード
ドアに区切られた部屋があり、中に連れて行かれる。
特撮ドラマでみたことがある。
「いかにもコンピュータのかたちをした機械」
大きさは、タンスぐらいであろうか?
その数、「大小合わせて20タンス」ぐらいあったと思う。
彼らは、コンピュータが置いてある部屋を「マシンルーム」と呼んでいた。
プリンターとストックホーム
室内は、14℃と温度計が指していたが、風が冷たい。
ゴウゴウとものすごい音がなり続けていた。
それらの奥で作業着を着た男たちが忙しそうに歩き回っている。
「これから プリンターの付け替え作業をやってもらうので 覚えてね」
I先輩は、そう言うと、これまた リコーの複合機(コピー&FAX)を数台重ねたような大きさのプリンターを目の前にして講習がはじまった。
プリンターにつける「ストックホーム」と呼ばれる、両脇に穴が空いていて折り畳まれている用紙をプリンターの穴に合わせてセットする。
安全など微塵もない歯車むき出しのプリンターは、少々怖い。
「ストックホーム」を穴に合わせて「バチン」と留め金をはめて 蓋をおろし、プリンターのいくるかあるうちのスイッチを押す。
たったこれだけの作業だったが、紙の位置合わせが難しく何度か失敗を繰り返す。
「こいつ つかえねぇな」
という声が、先輩から聞こえてくるようだった。
やっと「棚卸しの意味を説明された」
四半期のデータをコンピュータで処理をして大量の印刷をして一部は、会社、一部は、倉庫に保管する作業らしい。
IT小僧は、一晩中、プリンターの紙切れを対応する役を命じられた。
つまり、アルバイト初日から徹夜
紙切れといっても30分に一度ぐらいなのでマシンルームの横にある端末がおいてある部屋で待機ということになった。
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夜明けまで
単純作業
- プリンターのブザーに反応
- マシンルームに走り込み「ストックホーム」の箱を持ってくる
- 止まっているプリンターを開けて「ストックホーム」を付けてスイッチを押す。
この3つの作業を延々と繰り返す。
飲み物は、最上階に自動販売機があるので勝手に行って購入できた。
マシンルームは、飲食厳禁なので持ち込めないが、端末のあるところは自由に飲み食いできた。
先輩方は、ポテトチップなどを買い込み、一緒に食べながら、作業を行う。
コンピュータの操作は、オペレーターと呼ばれる作業着を着た、別の会社の人が行うので自分たちは行わない。
先輩方は、自分が作成したプログラムが動作しているので、そのトラブル対応のためにいるらしい。
バロース B6900、B7900
「ストックホーム」の紙替えもなれてくると そう難しい作業ではない。
プリンター用紙の交換しか仕事が無いのでマシンルームを探検した。
大きなリールテープが、5台、その前にオペレータの人が使う端末が6台
リールテープの奥にコンピュータ本体 B6900、B7900と2台のコンピュータが並んでいた。
その奥には、高さ1m 縦2m 横2m の金属製の大きな箱が見渡す限り並んでいる。
B6900、B7900というのは、バロース社 (Burroughs Corporation) のコンピュータであると教えてもらった。
大型コンピュータ(汎用機と呼ばれていた)で当時、日本で最先端のものだったらしい。
まだ触っていない
IT小僧のコンピュータ屋の人生は、このタンスのようなバロース社のB6900、B7900との出会いからはじまりました。
しかし、この時点でまだ、キーボードさえ触っていませんでした。
「このデカイ タンスのようなコンピュータで仕事するのか・・・」
その時は、まだ この仕事がどれだけ大変なのか知るよしもなかった。
第1話 あとがき
連載を始めるにおいて、35年前のことをどれだけ覚えているか?
という挑戦もありました。
書き始めたら 意外と覚えているもので詳細まで思い浮かべることができます。
まったくのド素人がいきなり 他社のコンピュータルームに出入りできるなど、今では、考えられない時代です。
また、端末の周りには、灰皿がおいてあったり、飲みかけのコーラがおいてあったりしていた時代です。
大型コンピュータなど一般の人の目に触れる機会もない時代だったので、それらの機器を扱えるプログラマーの地位も高く、専門職としてある程度の収入もある時代でした。
IT小僧は、バロース社のB6900、B7900がコンピュータとの最初の出会いでした。
この最初に出会った、B6900、B7900が、とてつもなく最先端のコンピュータであると知ったのは、数年後に別の会社でIBM、HITEC(日立)の大型コンピュータを使ったときでした。
「(IBM、HITEC)なんて 原始的なコンピュータなんだ!」
と唖然としました。
それぐらい バロース(Burroughs) 社のコンピュータが、モダンで最先端だったということです。
バロース(Burroughs) 社は、その後、合併の末、名前も残っていません。
「全商コンピュータ」という会社も合併の末に名前は残っていませんが、このバロース(Burroughs) 社のコンピュータを自社で保有していました。
当時のソフトウェア会社からすれば、自社で汎用機を持っているというのは、かなり 凄いことだったのだと思います。
次回は、IT小僧が、棚卸しのあとの話です。
同期入社組との確執、先輩方からのイジメ?(ご指導かな?)、出向先の出来事など書いてみようと思っています。
当時の皆様 どうしていらっしゃるでしょうか?
自分のように現役でコンピュータ屋をやっているひとはいるのかな?
次回予告
特別扱いをされた優越感と苦悩
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