※本ページはプロモーションが含まれています

IT小僧の部屋

プログラマー物語 第8話 流浪

株式会社 メタテクノに出向していた2年間は楽しかった。 仕事というより、学びの場と言っていいだろう。

これまでのCOBOLを中心としたエンジニアではなく、CやAssemblerの魔術師のようなエンジニアや、UNIXで通信プログラムを書いたりする機会を得たことは、貴重な財産になった。

「転職してよかった」と本気で思ったし、これから自分が進む道がはっきりと見えてきた。

「時代は、ネットワーク」そう確信した。 そして、Appleという、これまた刺激的な会社と出会ってしまった。 Macintosh IIsi と Classicを、100万円近いローンを組んで購入したのもこの時期である。

しかし、楽園はそう長く続かなかった。

出向期間の終了である。

もともと2年限定の契約だったので致し方ないが、本社に戻って再び池袋で汎用機相手の仕事に就くことになった。

そんな状況でまったくやる気が出ない自分がいた。 「思い切って転職するか……」 というわけで、転職活動を開始した。

しかし、UNIXやネットワーク関連の仕事をしている会社は、ほとんどなかったというのが実情だった。 世間は、バブルに浮かれていた時期である。

就職情報誌をめくっていたら、ある会社の求人が目に入った。

「C言語とUNIXの経験者求む Tandemのシステム開発要員」

さっそく面接に行った。池袋のマンションの一室、従業員が10名ほどの小さな会社だった。

「大手のシステム会社でTandem(タンデム)の仕事を請け負ったが、エンジニアがいないためUNIX経験者を求めている」 とのことで、給与も倍近くなるということから転職を決意した。

お世話になった株式会社 ABCからは、強烈な引き留めがあった。 自分がCOBOLや汎用機の仕事を嫌っていたことを知っていた上層部は、CANONへ口を利いてくれるという話まで持ち出してきた。 上層部はシステム関連でかなり顔が利くらしく、CANONへ入社させることも考えていたようである。

しかし、あまり興味が湧かなかった。 大企業で働くことへの窮屈さと、自分が文系出身者であるという引け目もあった。

というわけで、株式会社 シートップという会社に転職した。

すぐにTandem(タンデム)のプロジェクトに参加することになった。

今風に言うとSIer(エスアイヤー:System Integrator)という会社への出向という形で、六本木の廃校になった学校の一室でプロジェクトが始まった。

ターゲットはNTTの通信関連の仕事。Tandem NonStopという未知のコンピューターでバリバリとシステムが組めると思っていたのだが……。

大手開発会社のメンバーに紹介され、教室を改造した部屋に集まった。

メンバーは全員で10名。自分以外は全員が大手開発会社の正社員だった。

しかし、そこで渡された端末が、富士通のOASYS(オアシス)。

「え? ワープロですか???」

つまり、仕様書作成の仕事というわけである。

彼らが作成した仕様書を見た瞬間、愕然とした……。

汎用機のフロー設計そのものだった。

メンバー全員が大型汎用機の経験しかなく、COBOL使いであることもすぐにわかった。

週に一度、与えられた課題を仕様書に落とし込み、NTT DATAのリーダーの前で発表する……。

しかも、バリバリの体育会系な雰囲気。

「ちょっと待ってください。Tandem NonStopでの作業はないんですか?」 と聞くと、

「それは仕様が終わってから、自分たちと協力会社で組むんだよ」

『まあ、いいか……。給与はいいし、そのうちTandemも触るタイミングがあるだろう』

そこでの作業は、退屈の極みだった。

課題の仕様書など数日もあれば仕上がるし、そもそも仕様書といっても文章を書いているだけ。 データベースの設計もCOBOL経験者らしく、リレーショナルという概念すら存在しない状況だった。

コンピューターでプログラムを組めないストレスは、自宅のMacintoshでHyperCardやThink Cでアプリを作ることで発散していた。

問題は、入社した会社から給与が一向に振り込まれないことだった。

会社に連絡すると「遅れる」「社長が捕まらない」などと言い訳ばかり。当時、結婚したばかりで給与がきちんと出ないことで、我が家の経済状況が逼迫していった。

株式会社 シートップに出向いて経理担当者と話すと、 「社長と専務が仙台の仕事をしていて、それが終わらないと給与が払えない」

「自分の派遣先からは、入金されていますよね?」

と問うと、

「……」

歯切れが悪い。

後で確認したところ、株式会社 シートップの社員全員が給与遅配状態だったそうで、経理担当者も最後には 「社長に直談判してきます」 と言うほど、『いい加減な会社』だったことがわかった。

六本木のプロジェクトでは、相変わらず仕様書書きばかり。システム的な質問をしても1週間以上返答がない。

参加していた他のメンバーは全員、汎用機の経験しかない状況でTandem NonStopのシステムなど組めるはずもなかった。 仕様書が終わり、プログラム開発の現場に入って、さらに驚いた。 誰もパソコンをまともに使えなかったのだ。

そもそもエディターという概念すらなく、パソコンの使い方を自分に聞いてくる有様。 結局、楽しみにしていたTandemにお目にかかれないまま、プロジェクトを離れることになった。

半年後、辞表を提出して転職活動を開始。悪夢のような半年間が終わった。 結局、給与が支払われたのはわずか2回だった。

そして、運命の会社と出会うこととなった。

プログラマー物語 第9話 運命の転職とあのテロ事件

次回は、転職した会社で地下鉄サリン事件に巻き込まれたこと、そしてその後の自分の運命を決める出会いについて。

-IT小僧の部屋
-, ,

Copyright© IT小僧の時事放談 , 2026 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.